2017年8月アーカイブ

ご無沙汰しておりました。
本日、8月14日 48歳の誕生日を迎えました。
この健康、この人生、この幸福・・・ただただ、天国の母に感謝。

さて、しばらくブログをお休みしていた間にいろいろなことがありました。
大切な恩師の死にも直面し、自分を見つめ直す時間にもなりました。
その記事を書こうと思いましたが、頭の中で十分まとめることができません
でした。私の教師人生の三大恩師の一人でした。

親として考えることもたくさんありました。
成人した二人の娘のこと・・・育ててきた親としての責任、育て方。
そんなこんなを詰め込んだ時期を越えて、誕生日を迎えました。


昨日は、四年前から始めた関東三十六不動尊巡りの千葉編を
同行二人(私の場合は妻との二人三脚)で巡りきり、とうとう成田山新勝寺
にて結願しました。結願の申請をして護摩供にも参加し締めくくりました。
IMG_3157.JPG
結願証を頂いて、門前の菊屋さんという老舗の鰻屋さんで、贅沢にも
大きなお椀で鰻を頂きました。(成田山門前には鰻屋が並んでいます。)



さて、いろいろなことを経験し、体験し、修業し、考え、学び、反省し・・・
その繰り返しの中で、自分というものを真剣に考える時が、人生では
何回かあると思います。現状に満足することもあれば、不満の時も、
悩むことも、苦しむこともあります。
私は、「自分をやめたい」と本気で思う時もありました。
しかし、結局は自分を大きく変えることはできずに、自分の魂そのままに
人生を送ってきました。

剣道修養や、神社仏閣巡りを通してであった方々や、読んだ本から
最近、少しだけ自分の本質に気付いたことがありました。

私の本質とは、
母子家庭で育ち、兄妹と別れるなどの経験から、「母に褒められたい。」
ということが、私の人生の目的の第一義になったのは自然のなりゆき。
それが、先生に認められたい、友達に認められたい、女の子に認められ
たい、学校で認められたい、教育委員会に認められたい・・・と、常に
他人の評価に自分の評価をゆだね、人生に成績をつけてきました。
「認められたい。」「ほめられたい。」ということは、人のことを考え、その
人の喜ぶことを実践し、良い評価をもらうことなので決して悪いことでは
ない。だから、今までの人生は、それで十分良い人生でした。成績◎!
仕事でも、人間関係でも、もったいない評価を得てきました。

そんな本質を自覚したところで、人生初の小さな悟りがありました。
禅僧がある時、パッとひらめくような悟りではなく、じわじわ考えが濃く
なり、そうかな?やっぱりそうだよな!?と時間をかけて確信したこと。

それは、仙厓和尚の言葉がヒントでした。

失却従前聰與明(これまで目指してきた聡明さを離れて生きていく)
という退歩宣言です。仙厓和尚五十二歳の時の宣言です。
私はその言葉から・・・退歩宣言・・・後退する意味、その実践を考え

失却従前評與讃(人からの評価や賞讃を目的とせずに生きていく)

ということを、自分なりに感得するに至ったのです。
社会に生き、家庭を持ったからには人と離れることはできませんが、
人の評価や賞讃に『執着』し、人生の目的とするのはやめよう。
自分らしく、自分という等身大で、のびのび生きてゆこう。
これが、人生後半?晩年?を迎えた私の小悟です。
かといって、何かが大きく変わったり、人格が豹変することはない
でしょう。人の笑顔が好きだし、学校の子どもも大好きだし。
でも、
今以上の地位や名誉はいりません、そこに悩むことは今までもありません
でしたが、今まで以上に魂は軽くサッパリしている感覚です。
「ひとがどう思うか」・・・から「自分としてはどうなのか」の人生を歩むことは
ある意味当たり前のことでしょう。

それをやっと悟ったところが、私の私らしいところですかね。
仙厓.jpg
仙厓和尚・画 布袋さま

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